余計な蘊蓄および愚痴のコーナーなんだこのコーナー?

音楽著作権について
そもそも著作権法では作者の没後50年は著作権が保護されます。これは1月1日からのカウントとなりますので理屈では1950年中に無くなった人の著作物は2001年1月1日からフリーとなります。しかし日本は大東亜戦争で負けているため「戦時加算」というペナルティが付くのです。

大東亜戦争勃発(1941年12月)からサンフランシスコ平和条約批准(1951年11月)までの間敵対する連合国側の著作権を保護しなかったということでその分上乗せされてます。アメリカ,イギリス,フランスなどは平和条約発行以前に批准しているので一律3794日の上乗せとなってます。しかしソヴィエト(当時)は批准してないので戦時加算の適用はありません。また日本と同じ枢機国だったドイツやイタリアも戦時加算はありません。そのためラヴェル(フランス,1937年没)、ホルスト(イギリス,1934年没)などとR.シュトラウス(ドイツ,1949年没)がほぼ同時期にフリーになっているのです。

しかし20世紀は移住とか亡命とかが流行りましたのでかなりややこしくなってます。たとえばシェーンベルク(オーストリア,1951年没)はアメリカに渡ってから亡くなっていますがそのためか「浄められた夜」とかはまだ著作権が生きています。またラフマニノフ(ロシア→アメリカ,1943年没)やプロコフィエフ(ロシア→フランス→ソヴィエト,1953年没)などはフリーになった曲と保護下の曲が混ざっています。ここにプロコは複数曲ありますが、「古典交響曲」「3つのオレンジへの恋」は保護下にあり「ロメオとジュリエット」「ピーターと狼」はフリーになっているという状況です。めんどくさい....。幸いにもラフマニノフは2004年5月ころ全てフリーになりました。

  ※ プロコフィエフですが、近年全てフリーになったようです。

もう一つ悩ましいのはJASRACの存在です。もっとも個人サイトでの適用は金さえ払えばやりたい放題ではあるのですが。ワタシは2001年から毎年13000-15000円程度払い続けてましたが2019年以降やる気が無くなったので減額してます。
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芥川 也寸志
文豪・芥川龍之介の三男です。NHKの「赤穂浪士」テーマが一番有名でしょうか。他には童謡「ことりのうた」(与田準一作詞)が有名かな。
團伊玖磨,黛敏郎とくんだ「三人の会」というのがありましたがこの三人は最後まで親友だったみたいですね。思想的には芥川と黛は正反対の立場でしたが、芥川が逝ったとき黛は「題名の無い音楽会」での追悼特集を泣きながら司会してましたっけ。
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伊福部 昭
あまりにも「ゴジラ」が有名。パリのコンクールに応募したとき日本では評判が芳しくなかった「日本狂詩曲」が1等を勝ち得ました。伊福部の基本的な考え方は日本的、アイヌ的(氏は釧路出身)な民俗音楽を土台に作曲するということ。そのため日本のアカデミズムには馴染まなかったと言われます。ほとんど独学だったということもあるかも知れませんが次に書かれた曲のタイトルが「土俗的三連画」というのは恐らく皮肉入ってるでしょう。終戦までは趣味の作曲に過ぎなかったのですが、戦後上京し東京音楽学校(現・東京芸術大学)作曲課講師になります。ところが普通のアカデミズムに飽き足らない若者が伊福部の個性に惚れ込みます。その当時の門下生には芥川也寸志、黛敏郎、奥村一、矢代秋雄といった蒼々たる名が並びます(これらの名知ってる?)。
「ゴジラ」は元々伊福部が持ってる個性が絶妙にゴジラの世界観にシンクロしてしまった、というのが正確な言い回しでしょう。ここにある(あった?)「交響譚詩」がゴジラの音楽に似ているのではなく、すべて伊福部の個性なのです。
SF交響ファンタジーは1回ぽっきりの映画音楽コンサートのために編曲されたものです。映画音楽を映像と切り離すことは邪道と考えてたため当初は編曲すら渋ったそうで作品リストにも入れないつもりだったそうです。しかし不本意ながら?人気を呼んで再演を繰り返し、スタジオ録音もされました。だって実際伊福部氏の作品でもっとも有名なのは東宝特撮シリーズの音楽ですからねぇ...
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ヴァーグナー
好きにならなきゃイカン作曲家なのですがなかなか....
ヴァーグナーはベートーヴェンに感動し、当初は絶対音楽たる交響曲を書こうとしますがむいてないと悟ったのか(一曲しか完成していない)直ぐに歌劇へ舵を切り結果的に成功しました。
彼自身反ユダヤだったそうで、20世紀になりナチスに利用されることになります。このわだかまりは21世紀の現在でも根深く、イスラエルでは今でも嫌われてる作曲家です。
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クライスラー
20世紀前半を彩る大ばよりにすと。自分で演奏するために沢山の曲を書いています。当初自作の「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」「ウィーン奇想曲」を自分のコンサートで発表したとき「ウィーン奇想曲」のみ自分の名で、他をヨゼフ・ランナーの未発表曲としたそうです。そしたら「ランナーの美しい曲とつまらん自作曲を一緒にするとは!」といった評論が多かったそうな。ばぁ〜か!
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シューベルト
シューベルトの交響曲はナンバリングが時代によって異なってますね。大昔は「7番”ザ・グレート”、8番”未完成”」としていましたが、昨今は”ザ・グレート”を9番として7番を欠番としています。しかし最新のBreitkopf版(だったと思う)あたりだと「7番”未完成”、8番”ザ・グレート”」となってます。ややこしい!
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ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチを「20世紀最大級の作曲家」と呼ぶことに異論のある人はあまりいないでしょう。作品は交響曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、オペラなど多岐にわたり全てのジャンルで高い音楽性を発揮しています。誰かが「赤いベートーヴェン」と称したそうですが、赤かどうかはともかくベートーヴェンとも比肩しうることは確かでしょうね。
なんといってもソビエト共産党時代です。「人民の誇り」と言われた人間が一夜にして反逆罪になってしまうような時代で生き延び名声を得ていたのですから凄いもんです。大学の卒業制作?の交響曲第1番がいち早く「西側」に紹介され大指揮者がレパートリーに加えたのですからやはり天才なのでしょう。しかしそこはソビエト、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が「西側的」とか批判されたため発表直前の第4交響曲を封印し、代わりに有名な第5交響曲を書き上げ発表します。この曲で落ちかけた名誉を復活したのです。似たようなことはまだあり、第9交響曲(きわめて軽い)が批判された後「森の歌」で回復させてますね。でも「森の歌」ってスターリン礼賛に満ちてて音楽的にはイマイチだと思うのですが。
スターリン没後も”1905年”とか”1917年”といった共産党礼賛色が強い曲を発表しますが(前者は「血の日曜日事件」に端を発した第一次革命を、後者はずばりロシア革命が題材)、これらの曲は政治色を無視して純音楽として聴いても絶賛するしかない周到な曲なのです。
時代はちと前後しますが「レニングラード」という交響曲があります。これはナチスが攻め入った時に書かれた物です。楽譜はマイクロフィルム化され即座に西側に渡り、トスカニーニによって初演されてます。トスカニーニは後年このスコアを見て「これを全部暗譜していたなんて気が違っていたとしか思えない」とか発言してます。昨今の指揮者はスコアを見ないで振るのが流行ってますが、初期の例がトスカニーニです。実はトスカニーニは極度の近眼だったために読みながら振ることが出来なかっただけらしいですが。クレンペラー(だったかな)は「楽譜読めるから暗譜なんてしない」といったらしいですが...(余談)。
おっと余談が長くなった。で西側に渡った「レニングラード」はトスカニーニが初演しましたがストコフスキー(だったかな)と初演権でもめたそうです。結局初演と初録音で分け合ったのかな。しかし元の国籍考えるとちと興味深いですね。トスカニーニはナチスと同盟関係にあったイタリア出身、ストコフスキーはソビエトになにかといじめられた(?)ポーランド出身なんですねぇ。
しかし「私の交響曲は墓標である」と語ったとかいろいろ謎もまだ多くあります。ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」なんて最たるものでしょう。現在では偽物だとほぼ決着したようですが....
ジダーノフ批判についてもう少し。1948年に共産党書記のジダーノフというヤツが「最近の音楽は形式的に走りすぎてる」とか言い始めたのがキッカケです。ショスタコのみならずプロコフィエフやハチャトゥリヤンも理不尽な批判に晒されました。それをあっさりと「森の歌」で名誉回復してしまいます。西側の評論家には理解されなかったかもしれませんがそうしなければ強制労働、悪ければ粛正ですからねぇ。しかし「プラウダ批判」後の「第五交響曲」と「ジダーノフ批判」後の「森の歌」は深みが全然違うのが不思議です。
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ドヴォルザーク
ドヴォルザークの交響曲は大昔は全部で5つとされてました。”イギリス”が4番で”新世界より”が5番です。古い文献にはこの記載が見られます。しかしわりと最近になって出版されてなかった4曲が加えられ順番に並ぶ事になりました。ウチにある古い”新世界より”のLPにはNO.9(5)とか記載されてました。ちなみに8番”イギリス”は当初イギリスの出版社がら出たというだけで、あくまで俗称です。
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パガニーニ
近代ばよりん奏法を確立しロマン派の作曲家に多大な影響を与えた天才。

パガニーニの協奏曲は現在では全部で6つ存在しています。ニ長調,ロ短調,ホ長調,ニ短調,イ短調,ホ短調ですがこのうち最初の2曲のみ作品番号がついています(作品6,7)。また必ずしも作曲年代順に並んでるわけではありません。第6番とされるホ短調(遺作)はかなり若い頃の物といわれてます。アッカルドの新録音では0番となってますね。
1番ニ長調および2番ロ短調は没後すぐ世に出ましたが、4番ニ短調、5番イ短調は1950年代、3番ホ長調、遺作(6番)ホ短調は1970年代に復活演奏されました。このうち5番6番は未だに完全なオケ伴奏譜が見つかっていなく、ピアノ譜ギター譜からオーケストレーションした物が使われてます。3番以降は録音があまりありませんね。また第1番はスコルダトゥーラ(調律変更)といわれる特殊奏法を用いたことでも知られます。この曲は元は変ホ長調とされていましたがオーケストラを変ホ長調、ソロをニ長調としていたのです。半音の違いはソロばよりんを半音上げてチューニングすることで吸収してたのです。ソロの音をオケより引き立てるためにこのようなことをしたと考えられますが、現在では行いません。調律変更そのものも現在では殆ど絶滅した技術ですね。
奇想曲集(カプリ−ス)はパガニーニが生前に出版した数少ない曲。出版当時はこんな物弾けない、と思われましたがパガニーニ自身が弾いて見せて皆納得したという伝説があります。全部で24曲ですがピアノ曲に多い”すべての調を揃えた”というものではありません。特に有名なのは24番を筆頭に13番9番といったあたりでしょうか。
パガニーニのショーピースに欠かせなかった物に変奏曲があります。有名曲のテーマで様々なテクニックをひけらかすワケです。有名なものにジェスマイヤー(モーツァルトの弟子)のオペラから引用した”魔女の踊り”、ロッシーニの”胸騒ぎ”、”モーゼ幻想曲”(これは結構有名。チェロなどでも演奏されます。)、パイジェッロの”うつろな心”、およびイギリス国歌の変奏曲(ホントは同じメロディを持つ別の曲なのですが)などが残っています。
テクニック的には今やパガニーニの曲は基本的なものになってしまいました。しかしシューベルトが「天使の歌」と形容した美しい音は楽譜じゃ判らず伝説に頼るしかありませんね。若い頃のパガニーニはなかなかの美男子だったそうですが、その演奏を聴いて失神したご婦人が沢山いたというのがホントだとしたら....
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J.S.バッハ
バッハはケーテン時代(1717〜1723)には無伴奏独奏曲に強い興味を持っていて、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ、および無伴奏チェロ組曲、無伴奏フルートのためのパルティータなどが書かれています。ヴァイオリンのための六曲とチェロのための六曲は対を成す物ですが、内容にはかなり違いがあります。ヴァイオリンの方はかなり技術的に困難な物があるのにチェロはそうでもないのです。音楽の深さは甲乙つけがたいですがねぇ。
ヴァイオリンの方はソナタとパルティータが交互に並びます。そんなこともあって調性で呼ぶのが楽ですね。ト短調イ短調ロ短調ニ短調ハ長調ホ長調....。ソナタの方はきっちりと教会ソナタの形式で書かれてるの(全部四楽章形式)に対しパルティータは四楽章(ドゥーブルを数えると八楽章)、シャコンヌのついた五楽章、そして六楽章、とバラバラです。一方チェロの方は全くの定型で、全部が六楽章形式、第五楽章がメヌエットかブーレかガヴォットかの違いだけです。ただし五弦チェロが前提だったり調律をいじらせたりしてますが。
バッハの音楽はしばらく忘れられてましたが一九世紀のロマン派時代になりメンデルスゾーンなどによってマタイやヨハネ受難曲などが復活しました。しかしそれでも無伴奏ヴァイオリンは演奏されることはありませんでした。当時は(今でも?)ばよりん一丁だけでステージに立つなんて考えられなかったのです。メンデルスゾーンがいたゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターのダーフィト(有名なメンコンを初演した人)も演奏を拒否し、メンデルスゾーンが伴奏をつけた物を公開演奏したと言われてます。この曲をそのままの形で演奏したのは彼らの弟子のヨアヒム(メンデルスゾーンに音楽理論を、ダーフィトにヴァイオリンを習った)で、一九世紀も終わりに近い頃でした。彼の演奏するバッハは録音が残ってます。
チェロの方は更に遅れ、二十世紀になってカザルスの手によって広まったのです。
ここに書くのは蛇足ですが、メンコン初演時のの指揮者は体調を崩したとかでメンデルスゾーンではありませんでした。再演時はメンデルスゾーン自身が指揮をし独奏がヨアヒムでした。当時13歳くらいの氏のキャリアが本格的にスタートしたのです。
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ブルックナー
ワタシがブルックナーを苦手な理由
1.版がややこしい。手元のCDはHAAS版だったけど入手した楽譜はNOWAK版だった。
2.長い。
3.メロディが乏しい。マーラーは長くて編成が変態してることが多いけどメロディがあるので救われる。
4.弦楽器奏者を殺す。ワタシはヘタクソだがばよりん/びよら弾きだ。
5.全部同じに聞こえる(爆)。これって興味が無いってことか....
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ベートーヴェン
交響曲は”論文”、ピアノソナタは”日記”そして弦楽四重奏は”随筆”とかいわれます。この三種のジャンルは一生涯にわたって書かれました。
モーツァルトとベートーヴェンの初対面には有名な伝説があります。ボンからやってきたイナカモンの演奏をモーツァルトは取りあえず聴きますが、「君はこの曲だけしか弾けないんじゃないのかい?」といったモーツァルトに対しベートーヴェンは「それでは即興してみます」とモーツァルトの提示した主題で即興を披露します。モーツァルトはその出来映えに驚き、居合わせた友人たちに「みんな!このベートーヴェン君に注目だぞ。今にウィーン1、いやヨーロッパ1の作曲家になるぞ!」と言ったと伝えられてます。天才は天才を知るということなんですかね。ただモーツァルトがどの程度驚いたのかは後年の脚色もあってハッキリしません。”天才現る!”だったのか”中々やりおる”だったのか。それはともかくベートーヴェンの音楽が凄みを増したのは耳を悪くしそれを精神的に克服してからなんですね(交響曲2番から3番への飛躍が端的)。もし耳を悪くしなかったらどんな作曲家になっていたでしょう....

以下に簡単な作品番号表を載せておきます。細かいとこは手抜きです。
作品番号 交響曲
(全9)
ピアノソナタ
(全32)
弦楽四重奏
(全16+1)
ピアノ協奏曲
(全5)
ヴァイオリンソナタ
(全10)
チェロソナタ
(全5)
序曲 その他 年齢
1 ピアノトリオ1〜3番 25
2 1〜3
5 1〜2
7
10 5〜7
12 1〜3
13 8(悲愴)
14 9/10
15
18 1〜6
19
21 29
22 11
23
24 5(春)
26 12
27 13/14(月光)
28 15
30 6〜8
31 16/17(テンペスト)/18
35 エロイカ変奏曲
36 31
37
40 ロマンスト長調
43 プロメテウスの創造物
47 9(クロイツェル)
49 19/20
50 ロマンスヘ長調
53 21(ヴァルトシュタイン)
54 22
55 3(英雄) 33
56 三重協奏曲
57 23(熱情)
58
59 7〜9(ラズモフスキー)
60 35
61 ヴァイオリン協奏曲
62 コリオラン
67 5(運命) 38
68 6(田園) 38
69
70 ピアノトリオ幽霊
72 レオノーレ2,3
フィデリオ
73 5(皇帝)
74 10(ハープ)
78 24
79 25
81a 26(告別)
84 エグモント
90 27
91 ウェリントンの勝利
92 42
93 42
95 11(セリオーソ)
96 10
97 ピアノトリオ大公
101 28
102 4/5
106 29(ハンマー・クラヴィーア)
109 30
110 31
111 32
113 アテネの廃墟
115 命名祝日
117 シュテファン王
123 ミサ・ソレムニス
124 献堂式
125 9(合唱) 53
126 6つのバガデル
127 12
130 13
131 14
132 15
133 大フーガ
135 16 56
138 レオノーレ1
備考 135が最後の曲.それ以降は死後発見された.
「大フーガは」もともと13番の一部.
作品番号ナシの楽曲も存在するが、WoO,Hessといった整理番号が付けられてる.
例えば有名な「エリーゼのために」は WoO 59 とされている.
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マーラー
某女神さまっに出てくる悪魔とは無関係だとは思いますが、サンスクリットでは悪魔、魔物のことをマーラと言います。男のイチモツを「まら」と呼ぶのはその流れです。それはともかくこの作曲家は悪魔に魅入られたとしか思えないことがいくつかあります。たとえば「亡き子をしのぶ歌」を作ったら本当に子供が死んだりしてます。
ベートーヴェンやブルックナーが交響曲を9曲で終えていることから、彼は「オレも9曲書いたら死ぬんだぁ」と思いこんでしまいます。9番目の交響曲が出来たとき、彼は番号をつけるのを嫌って単に”交響曲「大地の歌」”としたのです。
しかしその後交響曲が出来たときに居直ったのか仕方なくなのかは不明ですが「第9番」としっかりつけました。そして彼はその初演を聴くことなく亡くなったのです。結局「9番」の呪縛にハマリこんだのでした....
後年ショスタコーヴィチは「第9」をあえて軽い作風に仕上げ、呪縛から逃れました(ホントにそんな因果関係あるのけ?)。そして交響曲を15送り出したのでした。

いわゆる「第九の呪い」として有名なエピソードですが、実際にハマリ込んだのはこのマーラーだけでしょう。作曲者自身でナンバリングした交響曲が9曲で終わってるのは有名処ではこの3人くらいです。シューベルトのナンバリングは適当(笑)ですしドヴォルザークは当初5曲でしたし。
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矢代 秋雄
テレビ出演や政治活動で有名になった黛敏郎と同門で同期です。1951年にフランスへ留学しますが(黛も同時)、黛が留学生活に失望したのに対し矢代はきっちりと学ぶことになります。しかし総決算たる卒業制作の弦楽四重奏曲はさんざんな評価だったそうです(その年はとりわけ保守的な傾向が強かったそうな)。しかし審査員全てがダメ出ししたわけでなく高く評価する人も居て、その弦楽四重奏曲はフランス国立放送局から放送されることになります。
後に母校である東京芸大で教鞭をとり優れた弟子(池辺晋一郎など)を輩出しますが、1976年に46歳の若さで逝去しました。

「交響曲」のスコアを入手するとき銀座のYで「矢代秋雄あります?」と聞いたら「八代亜紀?」と聞き返されましたw。同じ銀座にあるもう一つのYでは「ただいま在庫切れですが○○日頃入荷予定です」と即答。これ以降あっちのY(どっちだよ)で楽譜を探すことはなくなりました(笑)。
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ライヒ
ライヒはミニマルミュージックの第一人者ですが、ミニマルとは何ぞや、という話は取りあえず省きw、カウンターポイントシリーズについてのみ。
ナントカCounterpointという曲は全部で3曲あり、第1作Vermont Counterpointがフルート、第2作NewYork Counterpointはクラリネット、第3作Electric Counterpoinはエレキギターのために書かれてます。どの曲もソロ楽器+テープ、つまり予めテープに録音したアンサンブルの上にソロを乗っけるような構成です。もっとも全ての楽器を生演奏しても良いみたいですが。
テープによる実演の場合独奏者の他にミキサーを操作するアシスタントが必要です。
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ラロ
”スペイン交響曲”は交響曲ではなくヴァイオリン協奏曲です。ラロはVn協奏曲を合計4曲書いてますが他はまず演奏されませんね。Vn協奏曲以外ではチェロ協奏曲が有名です。
この曲はサラサーテに献呈されましたが、初演時第三楽章(この曲は五楽章形式)が省略されて以来常に省略されてました。しかし最近の録音は省略しないようになってます。
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新ウィ−ン学派....
あんまり細かいことは知らないんですが(^^;、新ウィーン学派とはシェーンベルクおよび弟子のウェーベルン、ベルク三人を一絡げですね。十二音技法(ドデカフォニーとかいいます)を駆使する人たちですが、当然ながら3人ともアプローチが違います。ワシ的にはウェーベルンだけはダメです(^^;。彼の音楽は美しいと思ったことが無いのです。癲声塵語にも書きましたがランダムに音を発生させただけのような...(苦笑)。面白い美しいは違いますからね。
十二音技法というのは1オクターブの構成音−つまり12−を同じ比重で扱おうというもので理論的合理的な手法です。「音楽は徐々に使う音を増やしていった。だから将来はこうなる。」という発想が元らしいですが、今現在とても一般的とは言い難いですし、将来も一般的にはならないでしょうね。
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ビートルズ
今更書くことなんて無いですが(^^;、リヴァプールという街はアイルランド系が多いそうです。当然ビートルズも全員アイルランド系だそうで(ホントかね。マッカートニーはそうらしいけど)アイルランド系はイギリス社会ではどちらかといえば蔑まされる傾向にあります。で、マネージャのブライアン・エプスタインはユダヤ系でこれも蔑まされる傾向にある民族です。そんなワケで通じるものがあった、という説があります。
デビュー直前のビートルズというとジョン,ポール,ジョージの他にステュアート・サトクリフ(ベース)、ピート・ベスト(ドラムス)という5人編成でした。このうちステュアートが結婚を理由(だったかな)に脱退し(まもなく急逝)ベースがいなくなりました。ジョンもジョージもベースをやりたがらなかったのでポールがやることになったそうですが、ベースの面白さに目覚めたポールはずっとベースを引き続けることになります。ヤードバーズ時代にベースを弾いてたジミー・ペイジがギターに戻ったのとはえらい違いです(あまりカンケイない話)。
などと書いてましたがステュ在籍中にポールがベースを持ってる写真が存在してます。ステュが抜ける前に引き継ぎ?はあったみたいですね。
そしてデビューが決まった後ピートはクビになりリンゴ・スターに変わったのです。ピートは史上最もついてない男、リンゴは史上最大のワキ役と呼ばれるようになりました。
ビートルズのデビューといえば、当初オーディションを受けたのはEMIでなくDECCAでした。しかし初めてのスタジオということでみんな萎縮してしまい上手く歌えなかったそうです。そんなわけで最初のオーディションは失敗してしまいます。その後ビートルズがスーパースターになったときデッカのオーディション担当者はクビなったとか....。その後EMIのオーディションを受けましたが彼らを見たジョージ・マーティンはどちらかというとクラシック寄りの人だったそうです。しかしその反応はかなり好意的なものだったそうです。以来現在まで続く(特にポールと)関係を築きます。数年前のビートルズ再結成?の時もプロデュースの話があったそうですが、耳が悪くなったとかで受けなかったそうです。
しかしどーでもいいこと書いてるねぇ(^^;。
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ゴジラ









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ゴジラ
ゴジラの逆襲
キングゴング対ゴジラ
モスラ対ゴジラ
三大怪獣地球最大の決戦
怪獣大戦争
ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決戦
怪獣島の決戦ゴジラの息子
怪獣総進撃
オール怪獣大進撃
ゴジラ対へドラ
地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン
ゴジラ対メガロ
ゴジラ対メカゴジラ
メカゴジラの逆襲
ゴジラ
ゴジラVSビオランテ
ゴジラVSキングギドラ
ゴジラVSモスラ
ゴジラVSメカゴジラ
ゴジラVSスペースゴジラ
ゴジラVSデストロイア
ゴジラ2000−ミレニアム−
ゴジラ×メガギラス
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
ゴジラ×メカゴジラ
ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS
ゴジラ FINAL WARS
シン・ゴジラ
ゴジラ−1.0
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参考 空の大怪獣ラドン
大怪獣バラン
モスラ
妖星ゴラス
マタンゴ
宇宙大怪獣ドゴラ
フランケンシュタイン対地底怪獣
フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ
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1964
1965
1966
こんなリストはあんまり意味無いですねぇ。せめてどんな建物を壊したかの資料が欲しい(笑)。
いうまでもないと思いますが、ラドンやモスラが主役の奴はゴジラシリーズとは分離して整理されてますね。ゴジラシリーズおよびラドン、モスラ以外は東宝でもちと冷遇されてる感じです。
個人的には1954年の第1作、「キングコング対ゴジラ」、「モスラ対ゴジラ」、新しい「シン・ゴジラ」、「ゴジラ−1.0」そして1961年の「モスラ」あたりが好きです。
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海のトリトン
手塚治虫がサンケイ新聞(当時はカタカナ表記だったかな?)に毎日1ページ連載したモノが原作です。昭和40年代前半という時代を反映して当初は根性モノの予定でした。 主役はトリトンではなく人間の少年で、イナカの漁師町で育った少年が都会の荒波にもまれる、といった話にする予定だったらしいですが、手塚治虫にそういうのが描けるわけなく(笑)人間の少年はワキへ追いやられワキ役だったトリトンが主役になってしまいSFタッチの世界になりました。
アニメに関しては手塚は「オレの作ったものではない」と繰り返し発言していますが、当初は虫プロで作る予定でした(パイロットフィルムを作ってる)。しかしどういう経緯なのかはっきりしませんが当時マネージャーをしていた西崎義展が独自に話をつけ制作することになりました。一部には火事場泥棒とも言われてますね。
大昔リリースされたLPにはこの西崎の名が多く見られますが、後年でたLDボックスでは西崎の名は無く演出を担当した富野喜幸(由悠季)の扱いが大きくなってますね。社会的評価?が変化したことがよく分かります(^^)。
ところで上記パイロットフィルムですが雰囲気は原作版ともアニメ版とも異なります。原作のナイフ投げやアニメのオリハルコンは存在せずなんか指から光線だか念力だかで戦うんですねぇ。なんとなく鉄腕アトムの舞台を未来から海に置き換えただけのようにも見えます。しかし一般的な富野アニメ版が唐突に出てきたのではなくこのパイロット版を経由して出てきたのは間違いないでしょう。
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魔法のプリンセスミンキーモモ
1982年頃の古典です。海モモも古典かな...。空モモの事実上の最終回は強烈でしたねぇ。まさか死なせてしまうとは。この一話前にモモは魔法を使えなくなってしまいますがこのあたりを連続して見るとなんか凄いです。普通の女の子として淡々と時間が流れた後、突如断ち切る....
主人公の突然の死はスポンサーへの抗議だといわれてます。打ち切りやら続行やら好き勝手いうスポンサー(おもちゃ会社)に怒ったアニメスタッフは主人公を交通事故死させてしまいますが、このはねたクルマがおもちゃを満載したトラックだったのです。
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未来少年コナン
現在巨匠と呼ばれる宮崎駿がワガママを押し通したシリーズですね(苦笑)。コナンとラナは「ラピュタ」のパズーとシータのイメージに直結しますし世界観は「ナウシカ」に近い感じです。それからシリーズ中盤から目立つモンスリーの「バカね!」が最終話で微妙にニュアンスの違う「バカね....」になったりするとこもいい感じですねぇ。

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