思い出話(00.09.30)
一応このページはMIDI主体の筈だがあんまりここでMIDIの話をしていない事に気がついた。音楽絡みの話はあるのにね(笑)。まぁワシが書かなくてもあちこちのサイトでやってるから別に良いのだが、折角だから(何が折角なんだか)なんか書いてみよう。でも大したことは書けないし書く気もない。思い出話でも書いてみよう。年寄りだしね(苦笑)。

ワシがDTM始めた頃(’90年頃)は完全にPC−9801でやるのが主流だったのだ。沢山の打ち込みソフトが独自のフォーマットでしのぎを削っていたっけ。ローランドのパッケージに付属していたソフトで作成されたSNG(Ballade2だったかな)、ヤマハやカワイのパッケージMM2(マイクロミュージシャン2だっけ)、そしてRCMで作成されたRCPなどが代表的な存在だった。で、今から思うと意外かも知れないが標準MIDIを満足にサポートしていないのが殆どなのである。

当時のプレイバッカにしてもあのMIMPIはSNGだけ、DECOPはRCP/MCPだけしか再生できない時代があったのだが、MIMPIの作者[斎 藤]さんいわく「コンバータができればプレイバッカもできる」(8〜9年前に[斎 藤]さんから直接聞いた話。いやDECOPの作者DECOさんだったかな?)というわけでまもなくMIMPIはあらゆるフォーマットを再生できるようになりDECOPもMIDをサポートした。

数々あった9801で動作する打ち込みソフトは結局RCPの一人勝ちとなり残りは消えていった。今でもRCPは生き残っていてWindowsでのプレイバッカ定番のTMIDIなどでも対応しているのだ。割と最近@niftyのFMIDIのどっかで「RCPでアップしてる人はフリーウェアの作者に感謝しなさい」てな趣旨の書き込みを見た気がするがフリーウェアの作者に感謝しなければならないのは別にRCPの人だけではないだろう(笑)。上に書いたとおり標準MIDの方が民生用?では後から来たのだ。

その98X1で動作するRCMだがバージョンによって少しずつ名前を変え、Ver2.3aくらいまではRCMと呼ばれ2.5の頃からはレコンポーザと呼ばれている。そんなことはともかく、ワシはこのソフトをVer2.1の頃から使用していて(当時はBallade2と併用)2.3以降は完全にこのソフト1本になった。先日98RA21が大往生したがまた98Ap2を中古で探したのもこのソフトを使いたいからであり決して昔のギャルゲー、エロゲーをやりたいからではない(笑)。なぜこのレコンポーザに執着しているかというとその操作感である。それこそDOSの定番エディタ「MIFES」「VZ」みたいなサクサク感がたまらないのだ。当初マウスで音符ペタペタのソフトでやっていた自分が信じられない(笑)。

話を1990年頃に戻そう。当時のNIFTY−ServeのFMIDIはずいぶん貧相で今のFMIDIBGN,FMIDITOL,FELMI的な内容がひとまとめだった。FMIDIDAT的なのはというと「スタジオ”みゅーじ”」とかいう会議室とライブラリがあるだけだったのだ。現在からは想像もできないがその一つのライブラリも余り賑わっていなかった。実はNIFTYは著作権にうるさかったのだ。公の場で自由に流通する楽曲はドビュッシー以前(当時)くらいのクラシックおよび著作者管理のオリジナルだけで歌謡曲などはダメだった。

これに対しPC−VANは著作権には非常にルーズで歌謡曲もアニメ曲も、ストラヴィンスキーやプロコフィエフなどの新しいクラシックもどんどんアップされていたのだ(ただし会議室にISH形式で上げていた)。そのため当時のレベルはPC−VANの方が圧倒的に上だったのだ。

しかし1991年の秋頃「実験」と称してJASRACとの協議の元、著作権が生きていてもJASRAC管理の曲は公開できるようになったのだ。賑わうことを予想してかFMIDIのDTM関連部門がFMIDIDATとして切り離され、残りはFMIDIUSRとなった。ここからFMIDIDATは隆盛が始まり(ほぼ時期を同じくして初のGS音源”SC−55”が発売された)ライブラリに入り切らなくなることが続出して結局DATからCLA,DF,DJ,ORG(後にFMIDIグループから離脱),MSGが分裂することになった。

FMIDIの話はともかく、このような経緯で始まったJASRACとの実験は10年あまりダラダラと何をするともなく続き(当初1年の予定だった)最近突如として妙な通達が下った。10年かけた割には何の工夫も感じられない通達だな。

歳を取るとグチが増えるねぇ。やだやだ。

いい加減なMIDI高座